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旅行・地域

2011年3月 6日 (日)

冬の上高地

芝居の稽古の合間を見つけて、冬の上高地に遊びに行った。
スノーシューで歩き回るハイキングだ。
天気予報では、冬型。吹雪を覚悟して行ったのだが、
晴れ間も時々覗くまあまあの天気で、夏の喧騒からは予想もつかない
雪の上高地を満喫した。
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釜トンネルを歩いて抜けて、いよいよハイキング開始。
大正池までは、スノーシューをつけずに歩く。
時々、焼岳が姿を見せる。
大正池は、昔たくさんあった立ち枯れの木が全く少なくなっていたのは
驚きであった。
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<大正池から焼岳をのぞむ>
大正池から奥、河童橋への往復は、スノーシューを付けて、
ハンノキやケショウヤナギなどの林を自在に歩きまわり、
自然の空気をたっぷり吸って、すがすがしい休日を楽しんだ。
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<誰もいない!冬の河童橋>

あちこち木の皮が剥がれていて、
それは猿の仕業とガイドが説明がある。
いる!いる! 我々ツアー、の一行に一向に構わず、
あちこちで、食事を「楽しんでいる」ようにみえるが、真冬の上高地で
(日本の猿の中で、最も気温が低いところで生きている猿と聞く)
必死に食べ物を見つけて生きているのだ。
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一つ知ったことがある。
Weston
上高地に、日本に近代登山をもたらした、
ウェストンのレリーフがあるのは有名である。
はじめてレリーフが掛けられたのは昭和12年(1937年)。
それが太平洋戦争の際、取り外され、東京に保管されたが、
東京大空襲で燃えた(溶けた)のだそうだ。これは知らなかった。
だから、今あるレリーフは、それを打ち直したものなのだ。
こんなところにも、戦争の傷跡が隠されていた。

芝居も登山も、平和でなくてはできない。

2010年11月19日 (金)

シェイクスピア最長の戯曲「ハムレット」

名古屋の「戯曲を声に出して読む会」は
4回もかけて、ようやく読み終わった。
前にも触れたが、実にいろいろな訳があって、実に面白い。

例の有名なTo be, or not to be: that is the question.は、

アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ(チャールズ・ワーグマン?1874

存存(ながら)ふか、存へぬか?それが疑問ぢゃ(坪内逍遥、1907

世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ(坪内逍遥、1933

あるべきか、あるべきでないか、それは疑問だ(本多顕彰、1933

長らうべきか、死すべきか、それは疑問だ(本多顕彰、1949

生か死か・・・・・・それが問題だ(久米正雄、1915

生きるか、死ぬるか、そこが問題なのだ(市河三喜・松浦嘉一、1949

生きる、死ぬ、それが問題だ(三神勲、1951

生か、死か、それが疑問だ(福田恆存、1955

在るか、それとも在らぬか、それが問題だ(大山俊一:1966

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ(小田島雄志:1983

生きているのか、生きていないのか、それが問題だ(竹友藻風)

どっちだろうか。さあ、そこが疑問(浦口文治)

生か死か、其の一を撰ばんには(山岸荷葉)

ながらふる、ながらへざる、ここが考へどころぢや(土肥春曙)

死ぬるがましか、生くるがましか、思案をするはここぞかし(外山正一)

ながらふべきか、しかしまた、ながらふべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ(矢田部良吉)

やる、やらぬ、それが問題だ(小津次郎)

生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ(松岡和子)

生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(河合祥一郎)

とまあ、実に面白い。

ところで、この戯曲の舞台となっている「エルシノア城」のモデルは、

「クロンボー城」。ここは、ピースボートの旅の中で行ってきた。

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端正なお城だった。スウェーデンとの海峡に向いて建てられていて、

城門の横には、シェイクスピアの肖像画が飾られ、

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内部には、毎年中庭で上演される「ハムレット」の舞台写真が。

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歴史を感じる戯曲を声に出して読む、いいものですよ。

2010年11月 2日 (火)

秋祭り

郡上の田舎の秋祭りに行ってきた。
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御神酒祭と言われる、のんびりした奉納踊りだ。
朝から夕方まで、時間をかけて繰り返される。
なんと22年ぶりの開催で、不定期らしく、よく伝承されるものだと感心する。
初めて見る者にはめずらしく面白かったが、
「出演」した息子の甥っ子(高校生)は、「何が楽しいの」と
厳しい稽古も含めて、ブツブツ。

以前、諏訪小野神社の御柱祭に飛び入り参加して、
素晴らしい木遣り唄に聴き惚れながら、御柱を曳行したが、
伝統継承のために努力する村の意識が残っていることに敬意を感じる。

2010年7月26日 (月)

横浜帰港!

101日目。7月25日(日)。オセアニック号は、房総半島をグルッと回り、もうすぐ横浜だ。

この老朽船、ダブリンでの2日間足止めの安全検査などをくぐりぬけて、よくも世界一周を果たしてくれた。
少し雨が降ればあちこちで雨漏り、部屋は天井からの水漏れでびしょびしょ、放送が聞こえないため別の部屋に引っ越し、いつもどこかでペンキ塗りだし、トンカントンカン金槌の音は絶えないし、窓枠は落ちてきて手を骨折した人が出るし、フルスピードを出せば部屋のあちこちが壊れるのではないかと音を立てて軋むし、揺れが激しいだけでもこの船はあちこちギーギーと音を立てるし、トイレや水道は、メンテナンスと称してよく止まるし、茶色い水は当たり前だし、トイレを流すコックも、ある部屋はほんのちょっとした力で長い間流れ過ぎるかと思えば、めちゃめちゃ固くて体重を思いっきりかけて押さないと流れないとか、設備に関するエピソードは無数に生まれた。

この101日間、これまでにない「異文化体験」をした。
第1に、アジア、中近東、ヨーロッパ、ラテンアメリカの4つの地域の空気の違いは歴然だった。日本は、その中で、どういう位置を占めるのだろう。地理的にはもちろんアジアなのだが、明治以来脱亜入欧路線を歩むこの国の占めるべき位置は、あの侵略戦争の傷跡もあって、微妙かつ複雑だ。
もう一つは、船内生活での「異文化体験」である。4割を占めるリピーターたちが口をそろえて言うPeaceBoatの魅力は、「大文化センター」ということだ。日本では日常に紛れてなかなかモノにできない技や文化に触れ、学び、体験できるのだ。私自身も、興味はあったがこれまで接することができなった、太極拳や三線に触れあえた。これまで付き合ったことがなかった強烈な個性と人生体験の持ち主との出会いもあった。国際的な意味での「異文化」とは違う、「異文化体験」だった。

さあ、8月21・22日平演会、9月11日中川文化小劇場での朗読、9月19・20日創芝社公演、11月27・28日ひらき座、来年は1月に遊楽演、7月に緑ネットワーク公演と、次から次へと芝居が控えている。非日常の船生活が日常になりつつあったのを、そろそろ切り替えねばならないのかな。
暑いだろうなあ、名古屋は。

名古屋の皆さん、仲間たち、帰ってきました!

2010年7月23日 (金)

第3回公演リーディングシアター『ゴジラ』

7月22日(木)。自主企画発表会。朝から夜まで、101日間の船旅で毎日稽古を積みあげた成果を発表し合う。音楽からダンス、ヨガや太極拳など、すべてのジャンルだ。その数は、50にも及ぶ。私自身も、太極拳とラジオ体操、ハーモニカに、妻はヨガに出演。

大好評だった朗読と講談に続いて、打上げ公演リーディングシアター『ゴジラ』も、12:00開演という昼食時間と重なる悪条件をものともせず、会場を満員にして、大いに受けた。リーディングシアターとは、台本を持ったまま演ずる形態だが、衣裳も凝り、台本を見ずに台詞を言うシーンがあったり、台詞を言わねばならない役者が台本を探しているミスには、他の役者が繋げるなど、チームワークもよかった。みんなの努力の跡が見えた公演だった。又、マイク無し、生声での上演は、台詞が聞こえるかやや危惧したが、きちんと聞こえ、最後の公演も又もや大成功。3回にわたる公演、ミニ公演も入れると計5公演をやったことになり、別れを惜しみつつ、旨い酒と充実感と解放感に酔いしれた。

日付変更線

101日の航海は、実は100日だった!?

今日は、7月21日。昨日は、7月20日だった。と書きたいところだが、7月20日海の日は、オセアニック号の船上では消滅してしまい、昨日は7月19日だったのだ。おかげで、明日22日に迫った劇団PeaceBoat打上げ公演『ゴジラ』の稽古が、みごとに1日分足りなくなってしまい、大慌てだった。なんか、1日分旅費を返せと損したような気分だ。

なぜこうなるのか。日付変更線を通るためだよと言われれば、分かったような気になるが、なぜ日付変更線を通るとそうなるのかと問われると?である。
実は、西へ西へと進んだ今回のPeaceBoatは、寄港地の時計に合わせて、時計の針を次第に遅くしていた。飛行機で飛ぶ場合は一気に時差が生じて、時差ぼけが起こったりするが、ゆったり進む船の旅は、そんな必要はない。1日に1時間時計を遅らせるだけである。すなわち時差が発生する日は、1日25時間となって、1時間余計に眠ったり、酒を飲む時間があったりするわけだ。こうしてなんか得した気分だったが、そろそろ一周が終わりがけの今、これまで貯めてきた時間を一気に吐き出すため、1日消滅という事態が起きてしまったわけだ。

もっとも、昨日の深夜、若者たちは、消滅してしまった海の日を少しでも復活させようと、1時間生じた時差を利用して、1時間だけの「7月20日祭」を祝っていたが。 24時間の船の生活を1時間で終わらせようと、たった1分の早回しのラジオ体操から始まって、2分で食べる昼食とか、24倍速の生活を楽しんだのである。祭大好き人間ばかりのPeaceBoatだ。

カリフォルニア沖の荒れた海で始まった太平洋横断の旅は、このところ波も穏やかで、だんだん終りが近づいている。オセアニック号は、低気圧を避けて、やや北回りに針路をとり、そのため、気温10度前後の寒い日が続いている。みぞれも降る寒さだ。又、その分大回りのためか、心持スピードを上げている。

明日は、わが劇団PeaceBoatの最後の公演『ゴジラ』。このところ、1日に2回にわたる稽古を積み上げてきた、その成果が出るか、わくわく、どきどきだ。

2010年7月18日 (日)

船内生活 2

最もPeaceBoatらしい風景はなんだろうと考えてみた。

(1) レストランで食事を摂る時、毎回違うメンバーと顔を合わせる。

さすがに「お宅のお名前は?」から始まって「どこからみえた?」の会話は少なくなったが、寄港地での出来事や船内活動の話題で大いに盛り上がる時もあれば、およそ会話の無いテーブルになる時もある。食事ごとにどういうメンバーか、楽しみである。

(2) 朝食食べながら、戦争体験が語られる。

これは、実際、私も2度3度経験したことで、70・80代の人が結構乗られているので、普通に会話しているうちに、自然にそこへ話が行っちゃうのだ。但し、そこへ行くと話が長くなり、席を立つタイミングを計るのが大変難しい。

(3) 昼食時、若い人たちが78人輪になって「貧困とは何か」の議論をしている。その隣で、熟年世代がビールやワインを開けて、談笑している。

時々、若い世代と食事でテーブルを共にすることがあるのだが、たわいもない話題についていけないと思うこともしばしばだ。でも、極めてまじめに真剣に討論している姿がけっこう見受けられる。

(4) フリースペースで、若い人たちが、翌日のイベントの道具や飾り付けを作っている。大学祭の前日のような乗りだ。

(5) 昨日、夕食時、若い二人と同じテーブルになった。そしたら、この二人から「なかさんは、元教師だったんですよね」から始まり、真面目に十五年戦争・日韓併合・教科書問題・歴史認識の問題を議論してしまった。果ては、私の教師としてのメッセージは何だったのかまで問われちゃった。

しかし、これこそPeaceBoatの原点だろう。リタイアしたら必ず乗るぞ!と思っていたPeaceBoatだが、まさか、こういう形で教師生活の本質を迫られるとは思ってもいなかった。感謝である。

(6)そして、今日は、船上結婚式! 仲間の手作りのウエディングドレスに身を包んだ新婦と新郎が船長の祝福を受けて、素敵な式を挙げた。昨日までの波のうねりもすっかり収まり、太平洋も彼らの船出を祝福していたのであった。

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第2回公演「講談寄席」大成功!

7月14日、劇団PeaceBoat第2回公演。

「講談寄席」と称して、講談からMagic、佐渡おけさまで、バラエティに富んだ演目で臨んだ。
10数人の出演者たちの演目は「真田幸村 大阪城入城」「忠臣蔵 吉良邸討入」「森の石松 三十石船道中」。
加えて、真田幸村英語バージョンや海賊襲撃を扱った創作講談「ソマリア沖顛末記」まで賑やかな公演となった。
お客を迎えると、なぜか出来は稽古を数段上回り、ちゃんと講談に聞こえたのだから、大好評。出演者もお客さんからおひねりをいただきご満悦。
戦争と平和、命の問題を真正面から朗読で訴えた第1回公演とは違う舞台の味を楽しんでいただいた。
少しは講談愛好家人口を増やすことに貢献できたかな。
京子先生、任務を果たしましたぞ。
一品持ち寄りの打上げには、メキシコ産のワインやテキーラが並び、おいしい酒をたのしんだのであった。

2010年7月14日 (水)

アメリカ大陸二つの文明

●船は、23にわたる寄港が終わり、ほぼ予定通りに、メキシコ・エンセナーダを出航。太平洋を一路横浜に向かって帰路に着いた。予定では、7月25日午後2時に到着だ。これまでのことを考えると、まだまだ何があるか、分からないが。

●グァテマラのティカル遺跡ジャングルの奥に眠っていた、失われたマヤ都市文明の跡。湿度100%の熱帯雨林を聞いたことのない猿や鳥の声に囲まれて歩いて行くと、高さ数十mの石灰石を積み上げたピラミッド群が、忽然と現れる。いずれも、内部はぎっしり石が詰まっていて、空洞は無く、ゆえにエジプトのピラミッドとは違い、神殿と考えられていたが、最近王の墓のピラミッドも発見された。ただただ唸るばかり。

●マヤのティカル都市の住民は、スペインの侵略以前に忽然と姿を消した。その理由は、今も謎だ。アステカ文明は、スペインの侵略によって滅ぼされた。いずれも大量の文書がスペインによって焼き払われたため、わずかに残った書物や石に書かれた絵文字によって解読されているが、分からないことが多い。

●テオティラカン遺跡。メキシコに残るアステカ文明の跡。月のピラミッドに、太陽のピラミッド。
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ここは、ティカルよりさらに巨大なピラミッドだ。内容積は、クフ王のピラミッドを凌ぐ。サウナや水洗トイレの跡がくっきりと残っている。

●さらに巨大なアステカ文明都市は、現在の首都メキシコシティの下に眠る。標高2000mの湖の上に作られた、人口2500万都市。山裾に広大なスラムが広がるのが、いかにも中南米だが、中南米はどこも教育に力を注いでいて、ここメキシコも例外ではない。1・2週間に一度は、国の文化や歴史を学ぶ課外学習に出かけなければならないそうだ。博物館・美術館は、学生はいつ行ってもタダ。小学生からしっかり料金を取る日本とは大違いだ。 ●メキシコは、移動の際のチェックがとても厳しい。機内持ち込みだけでなく、預け入れトランクまで中を開けてチェックが入る。飛行機を降りて、チェックアウトする時にもだ。朝食に付いていたマンゴーを取り上げられたのは、ショックだった。

●今回の旅、中国・ベトナム、中近東のイスラム世界、ヨーロッパ世界、ラテンアメリカと大きく四つの世界を見て回ったことになる。駆け足だし、ゆっくり触れ合ったわけではないが、つくづく日本は特殊だと思わざるを得ない。これは、日本へ帰ってからじっくり議論しましょう。

●さて、最後の大洋=太平洋の旅は、わが劇団PeaceBoatの二つの公演だ。報告をお楽しみに。

2010年7月 1日 (木)

船内生活

大西洋の海の色は紺碧色だったが、カリブ海はますます深い色になる。これまで見たことのない色が水平線の向こうまで続いている。デッキはますます暑い。プールで泳ぐギャルの姿がまぶしい。

ベネズエラの民族音楽のリズムに続いて、ジャマイカはもちろんレゲエ。2拍目4拍目のアクセントに酔いしれて、船は再び南下、パナマに向かっている。

ほとんどがインドネシア人のクルー達も、船が南下するにつれ、自分たちの気候を察知するのか、陽気になってきた。ウエイター達は、Tea serviceを「Coffee or Japanese tea?」と最初は言っていたのが、この頃は、「コーヒー? オチャ?」と日本語がしょっちゅうだ。こちらが「Tea please」なんて答えると「スコシ? オオモリ? テンコモリ?」なんてやりかえしてくる。

最近は、「静岡茶」と言うようにしていたら、数人は覚えたね。インドネシア人には「し」「ず」の発音が難しいらしいが。

それにしてもこの船は空調設備も老朽ものだ。わが部屋はまだ調節が効くほうだが、全然効かない部屋があり、クレームが続出。イベントがあるシアターや公共空間・レストランなどは、むちゃくちゃ暑かったり寒かったり。

若者たちは、次から次へと企画されるイベントの実行委員になったり出演したり、自分たちで企画そのものから作り上げたり、その練習や準備など、忙しく動いている。もちろん、あッちでもこっちでも見かける顔もあれば、ほとんど参加しようとしない若者もいるが。

これまでのイベントをあげると、

憲法誕生日祭・紅白歌合戦・69演祭・大運動会・曲芸大会・アラビアンナイト・沖縄デー・フットサル大会にベネズエラフェス。これからも、夏祭りに日付変更線祭、自主企画発表会、船上結婚式と多彩なイベントが目白押しだ。

大人の楽しみ方は多彩だ。

劇団PeaceBoatに集まる熟年たちは、興味八方。芝居はもちろん、朗読も講談もチャレンジ、歌に踊りに楽器に書道、学習講座、ジャグリングから南京玉すだれ等々、時間の許す限りあちこちで文化センターを堪能するグループの代表格だ。

若者の真剣な学びの場が、地球大学。レポートや報告会もあり、本格的に環境問題などのテーマ別に学んでいて、そこに所属する若者は学び最優先だ。

もう一つの学びが、GET。英語とスペイン語の2種類あるが、最優先でじぶんのものにしようとしている。けっこう熟年世代がいるので、その学びの意欲に脱帽。

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