フォト
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010年6月

2010年6月28日 (月)

Viva! Venezuela

ベネズエラ・ラグアイアは大都会だ。
首都カラカスの外港ですぐ横に空港があり、朝からひっきりなしに飛行機が飛び立っている。ベネズエラは、他のラテン諸国と一緒にスペインからの独立運動を展開、今年で独立200年だ。今は大きな油田が発見され、それで経済が潤っている。ナント! ガソリン1L=2.5円。400L入るバスを満タンにしても10$。1000円なのだ。

2日間の停泊だが、2日間とも首都カラカスに行く。人口2300万人のうち600万人が住む。人口の2/3?3/4?は35歳以下のという若々しい国だ。だが、1/3は貧困層。山の中腹に広がるスラムは家々が隙間なく積み重なり、とても道路などありそうもなく、外から見ただけですさまじい。行った人は打ちのめされて帰ってきた。昔行ったリオデジャネイロで見たスラムと同じだ。カラカス市内のスラムの上には、ロープウエイが数本かかっている。2・3年前に大統領が作った無料のロープウエイだという。車も通れないところに住むスラム街の住民たちは、下町にある店への買い出しも大変だということで、彼ら貧民層のために作ったとのこと。

世界一と言われる渋滞にも会わず、カラカスに着き、繁華街を徒歩見学。しつこくカメラを持ったまま歩くなと注意される。エジプトやヨーロッパはスリぐらいだったが、ラテンアメリカは力づくやピストルを突き付けて金品を奪う強盗やなど暴力被害が相次ぐ治安が悪いところと何度も注意が繰り返される。ガイドの他にサブガイドと称するボディガイドも付いてくるのだ。すべての行事が外務省とタイアップしていることもあるのだろう。途中バスのエアコンが故障、別のバスが来る等、ツアーの雰囲気がいかにもラテンアメリカになった。

夜は、ベネズエラフェスティバル18:30~22:30の4時間にも亘る、1500人が集う大イベントが行われ。PeaceBoatが寄港するたびに催されるイベントで、今年は建国200年にもあたり、州知事夫婦も参加するなど、これまで以上に力を入れて準備してきたらしい。 PeaceBoatからは、船内で練習してきたダンスや和太鼓等々、出し物が披露され、私も合唱のメンバーとして参加する。一番前の席のベネズエラ人が、歌詞カードが配られたもののどれか分からず混乱しているので、一緒に歌ったりして、思わぬ交流が出来て良かった。Photo

Venezuelaからはもちろんべネオケ。思った通りの「はじけぶり」で、西洋クラシックの基礎を基に、しっかり自分のものしている感じだ。アフリカ黒人の生来の音楽性・リズム性が息づいているのだ。それは、日本の風土の音楽性とまるっきり違う。しかし、にもかかわらず、浮き浮きと楽しくさせるのだ。面白い時を過ごした。

ラグアイア2日目。今日は、観光省・外務省とタイアップした、交流プログラム「植樹と生態系」。バス1台で40人の参加で、再びカラカスへ。ど真ん中にある80haのとてつもなく広い植物園に出かける。なんと、CapとTシャツを1枚ずつプレゼントされる。植物再生プロジェクトを表すロゴ付きだ。午前中は、植物園を歩き回って、聞いたこともない樹木名と実の説明、ついでに落ちている実を拾いながらのウオーキングだ。家族連れがあちこちで憩っている。若者集団があちこちで踊りやらパフォーマンスやらやっている。リーダーがまとめていて、我々の前に来てアピールしていったグループもいる。
樹木の名前の学習と実拾いをやったあと、公園内の店で昼食。ラザニアらしいものが中心でなかなかうまかった。飲物付きで、レモンがよく効いた砂糖入り紅茶? デザートは、赤い色のついたなんだか分からないゼリー。その間、スコールですごい雨。予定を遅れて、午後はいよいよ植樹。穴掘りからやると思ったら、もう掘ってある。先ほどの雨で埋まっているのもあるが。植えた木は「女王の木」? 2年ほど成長したものらしいが、とにかく穴が大きすぎるので、土で埋めてからという指示だが、スコップがなかなか届かず、木の枝を拾ってきて、苦労して植樹した。終わったころ、ようやくスコップが届き、「ベネズエラ時間」と言う。「○○時間」というのはどこにでもある。

出港までのひととき、こんどは船内ベネオケお別れコンサート。大西洋を一緒だった5人に加えて仲間が加わり、総勢30人のオケによるコンサート。そして、夜は、ベネオケお別れコンサート。大西洋を一緒だった5人に加えて仲間が加わり、総勢30人のオケによるコンサート。初めてクラシックを披露。木管・金管・弦楽のアンサンブルを順に演奏。合唱隊の演奏は、「ふるさと」と「デイゴの花」を歌う。沖縄戦についてしっかりコメントしたのは驚き。集団自殺のことまでベネズエラ人から聞こうとは思わなかった。

大いに盛り上がったVenezuela寄港だった。

2010年6月22日 (火)

劇団PeaceBoat第1回公演!

皆さん!

船は、大西洋のイルカとクジラの歓迎を受けながら、順調にフルスピードで航行中。

(でも、こんなにずっとフルスピードで飛ばすのは初めてらしい、大丈夫か?)

現在、北緯30度、西経40度付近。九州の南方あたりの緯度、時差も12時間で、ほぼ日本の真後ろの位置にいることになる。

心配された今後の日程は、2日の遅れを大西洋で1日取り戻し、太平洋で1日取り戻し、予定通り725日横浜着の予定と発表された。ひとまずホッ。でもまあ、今後何があるか、分からないけど。

さて、劇団PeaceBoat1回公演「朗読のひととき~いのちと平和~」が行われた。

20人が詩・昔話・絵本などの朗読に挑戦。かなりのメンバーが、初朗読だ。

114枚用意したプログラムは開演と同時に無くなり、150人ぐらい集まり(つまり今回のクルーズ人口の1/5を集めたわけで、すごい人数だ)、出来も大変良く、シーンと聞いたり、笑いが起こったり。

1時間の間、集中が途切れず聴きいってくれた観客に支えられ、出来も大変良く、シーンと聞いたり、笑いが起こったり。素晴らしい朗読のひとときを作りえた。もちろん、出演者の積極的な努力に負うところが大きいのは言うまでもない。

劇団員は、出演した者も出演しなかった者も、良かったよかったと大満足。

観客からは、「プロではないか」「鳥肌が立った」「ずっと泣いていた」「良かった、すごい努力をしたのではないか」「朗読の世界がこんなに素晴らしいとは思いもしなかった」「活字ではなく、人間の声を通じて聴く世界がこんなにも広いと初めて知った」等々、称賛の声が船内で挙がり、友人や同室仲間、知り合いから呼びかけられて感想を堰が切れたように言ってくれる。普通の地上での公演ではありえない、船内公演ならではの体験だ。劇団員同士でそれを交換しながら、緊張のあとの解放感と達成感で大いに満足の様子。

60歳のラブレター』が若い人たちも含めて好評。しかし、他にもあれこれの詩が良かったとの声ももちろんあり、好みと感性によって、共感の度合いは違うようだが、予想以上の好評だった。

大変気持ちのいい打上げで盛り上がって、第1回公演は成功裏に終わることができた。

2010年6月17日 (木)

16日17時。2日遅れでようやくダブリン出港!

さて、この遅れは取り戻せるのか、できないのか。

デッキでは、待ちに待った出港を祝って、ギネスビールで乾杯!煙突がいつも違う音を出している。船のスピードも明らかに速い。しかし、エンジン全開で、長丁場が持つのだろうか、老体のオセアニック号の健康を心配してしまう。

ところで、先回のクイズ、「私は劇団PeaceBoat以外の何に出演したのでしょう」の答えは、合唱、ハーモニカ、STOMPでした。

さて、このダブリンからベネズエラオーケストラと称して、5人が乗りこんだ。彼らは、ベネズエラ青少年児童オケ財団によって育てられた素晴らしい表現力を持つ演奏家だ。
約30年の歴史を持つこの財団は、無料で子供たちに音楽の基礎を教え、オーケストラに参加する機会を与えるのだ。音楽でベネズエラの子供たちを貧困と孤独から解放する国家的政策で、全国にある約90の拠点に2~3のオケがあり、24万人の青少年が構成員。未就学児・子供・青年のオケがあり、人口当たりのオケの数は世界一! 
日本に比べたら圧倒的に貧しい国なのに。このシステムは、クラシック音楽を「少数による少数のための」音楽から「大衆による大衆のための」音楽に変え、クラシック音楽の未来を示していると言われる。

昨日夜、第1回のコンサートが開かれ、民族音楽を披露したのだが、若い女性ボーカルの深い歌に涙した。彼らのライブに触れあえただけで、PeaceBoatに乗船した意味があったというものだ。『国境』という歌で、彼女は「私は動く国境に住む/外から来た父と夜明けの星から生まれた/愛と戦争の間で生まれた/時間は進み、進むべき道が開かれている」と歌い、『ベネズエラ』で、我が祖国を讃える。見事なまでの民族アイデンティティの発露だった。

GUSTAVO DUDAMELという指揮者をご存じだろうか。彼こそ、このベネズエラのシステムで育てられた優れた音楽家の一人だ。今は確かロサンゼルス・フィルの常任指揮者となっていたと記憶するが、彼の「ベートーベン・運命」がCDで発売されているので、興味を持つ人はぜひ一聴を。今宵のライブと共通する、自らの運命を切り開こうとするスピリッツに満ち満ちた、若々しく躍動的な演奏だ。昔、音楽仲間と『運命』はフルトベングラーかトスカニーニかと尽きぬ論争をしたものだが、彼の『運命』は技術や伝統を超えて迫るものがある。
「豊かな国」日本に住む我々は、彼らのように、日本という国の現在・未来を希望を以って語れるか? 趣味で、カラオケで、文化センターで習い歌う歌はあっても、音楽が人生だという人がどれだけいるか。正に、音楽の持つ力を身を以って体現しているコンサートであった。

2010年6月16日 (水)

本日16日、いまだ(14日出港のはずだった)ダブリン! いつ出港できるのか?

(1)614日は、20:30帰船リミットだった。

・ところがその時、放送。「船長より、ダブリン港当局より安全検査を受けるよう指示があり、明日15日の14:00過ぎに出港する」。20:30ぎりぎりにフェンスを乗り越えて息も絶え絶えに帰ってきた若者たちは、のけぞった。

(2)15日。

・午後再び船長より「検査が長引いており、夜中の12:00ごろ出港予定」。

・夜になり、又もや放送「再々再延期。明日16日の昼出港予定」

なぜ、こんなに出港できないのか? もう船内は、噂と憶測がうじゃうじゃ飛び交っている。

(4)そして、今は16日午前10:30。帰船リミット11:30だけが伝えられ、出港予定時間は、(これまでは帰船リミットの1時間後だったのに)明らかにされていない。さあ、PeaceBoatは、今日出港できるのか? 

(5)暇なので計算してみた。仮に今日午後出港できるとして、予定通り大西洋を横断するためには、1週間もの間1.2倍のスピードで航行しなきゃならない。この老朽船でそれが可能なのか? いやいや、面白い楽しい船旅だ。

ヨーロッパ見聞録・その5 そして、第2回公演大成功!

●ノルウェーは、もちろんフィヨルドの国。予定の前日の夕方着いたので、2日半いたことになる。
夕方から、フィヨルドに入り、きれいな景色を楽しみながら、グダンスクに到着。歩いて15分ほどで、港の中心部へ。PeaceBoatの船は、港の一番遠いところに停泊する。そのため、バスも電車も無く、街の中心部まで歩くと1時間以上かかるようなところが多いのだ。しかし、ここはもともと港町として発展したところなので、15分ほど歩けばすぐ街。
世界遺産であるブリッケン地区は、中世の建築をそのまま留める。カラフルでいかにも中世の面影が残る。でも、良く見ると柱が垂直に建ってないのだ。荒々しく削られた柱が不規則に床を支える。魚市場をかすめ見ると、時間が遅かったので1軒だけ営業。何人かの日本人が、カニと格闘していたり、サーモンパンをかじっていた。ケーブルカーに乗り、街を見下ろす標高320mの山へ。素晴らしい景観にしばらく浸る。11時過ぎまで沈まない太陽、沈んだ後もかなりの間明るい白夜の元、カフェのオープンテラスは、ビールを飲む白人が一杯だ。
北海油田で裕福な国ノルウェーは、平均500万円の高収入で、高税金・高物価を乗り切る。67歳定年を迎えると200万円最低保障年金、医療・教育完全補償。

●もちろん世界遺産のフィヨルドは、予想に違わず、素晴らしい景観が続く。 ノルウェー第1のソグネフィヨルドと第2のハダンゲンフィヨルドの二つを2日間連続で観光する。1000mから1500mの高さまで切り立った垂直の壁とエメラルドグリーンの水の対比が見事だ。 その絶壁を無数の滝が落ちている。その水源は見えないが、崖の向こうに広がる湖と氷河だ。なるほど、あとで地図を見ると、数えきれないほどの湖が散在している。

●いわば自主企画の中間発表会となる、69演祭が6月12日に催される。もともとは、文字通り6月9日に開催予定だったが、その日に港に着いてしまうように船の予定が変わったため、延期されたのだ。 劇団PeaceBoatは、「群読・日本国憲法」に続いて、「リレー朗読・外郎売」に挑戦。私も1文読んで参加する。みんなメリハリつけて歯切れよく読め、途中で拍手も受けるほど、とても良い出来だった。この日の出演者は延べ50団体500人以上を数える熱気にあふれた1日となった。 

ところで、私は、劇団PeaceBoat以外にも3つ出演したのだが、あと3つ、何に出演したのでしょう。ちなみに、Oさんは8つも出演。劇団PeaceBoat等の打上げを楽しみ、又飲みすぎた。

●最後のヨーロッパは、北アイルランドの首都、ダブリン。

ここは、朝からお酒の楽しみツアー。
午前中はアイリッシュウイスキーの老舗ジェイムソン醸造所。作り方の自慢の説明を受ける。バーボンは蒸留1回、スコッチは2回、アイリッシュは3回だそうだ。さて、その3つを並べて試飲となる。面白かった。バーボンはジャックダニエル、スコッチはジョニ黒、これは飲み慣れた味。それに比べて確かに甘く、マイルドな味で、なかなかおいしい。

午後、ギネスビール工場に行き、今度はギネスビールの試飲だ。地中海のビールは酸っぱい系なのに対し、苦味が勝つ。慣れるとこれもとてもおいしい。雄大な自然の中を歩き回る1日もあれば、こういう1日もあるのが、この旅の楽しみ。充実した最後のヨーロッパだった。 Photo

●もう60日を過ぎ、あと40日。実に早く時間が過ぎていく。 PeaceBoatの旅は、想像していた通り、楽しく面白く、刺激的だ。それはもちろん、違う宗教、文化、歴史を抱えた様々な地域を次から次へと訪問することから来る。だが、もちろんそればかりではない。第1に、船は老朽船で、そのことから来るトラブルが絶えない。第2に、このオセアニック号には大きく5つのグループが乗っている。企画の大元PeaceBoatというNGO、ジャパングレイスというこの旅を運営・企画するツアー会社、船を動かしている船長以下のクルーたち、そして我々乗客。このグループ間で、意思疎通がうまくいかず、様々なクレームや対立が発生する。まあ、このあたりは、帰国してからの土産話ですな。

2010年6月11日 (金)

ヨーロッパ見聞録・その4

●6月は、北欧にとって春の季節。長い冬から覚め、草木が花を咲かしている。天候にも恵まれ、ヨーロッパの伝統と歴史の重さをずっしりと感じる。しかし、それは世界支配、植民地分割の結実でもある。 101日世界一周の旅は50日が終わり、折り返し点だ。早いものだ。船は、フィンランド湾沿岸の3国を巡る。

●ポーランドは、グダンスク。

(1) 朝7:00。ポーランド、グダンスクに到着。街から一番遠い桟橋。直線距離では近いのだが、橋もない対岸で、ぐるっと回らねばならない。バスも1時間に1本しかないという。第2次大戦勃発のきっかけとなった、ナチスのポーランド侵攻場所のすぐ近く。市民の憩いの公園となっている。

(2) メーター制との情報なのに、実際は違う。値段は交渉だ。1台目は、8人で1人10ユーロ。高すぎると決裂。2台目は、7人35€(一人5€)でOKというので、中心部まで乗る。ところが、降りる段になって、我々夫婦以外のおばさん達が「え? ユーロ? ズウォーネ(現地通貨)じゃないの? ユーロなんて持ってないわ」と騒ぎだしたから、さあ大変。ズウォーネは要らないとユーロにこだわる(ユーロは2012年導入予定)運転手は(白タク)怒り狂い、「もういいわ、料金要らない」と、結局タダ。

(3) 狭い町で、いかにも北欧という感じのレンガ作りのビルが立ち並ぶ。街はナチスによって悉く焼き尽くされたが、戦後、市民の努力で、中世そのままを復元した、運河とレンガが溶け合った街。

(4) 聖マリア教会の最上部の鐘楼(82mの高さ)に登ったのはヒットだった。街の展望は素晴らしく、我がオセアニック号まで見えた。昼はコーヒー&バーガー。二人で1000円ほど。一人当たり行動費は1,500円。超満足。

●ロシアは、サンクトペテルブルグ。60以上の島から成る1700年ごろピョートル大王によって作られた人工都市。運河が発達していて、秋から冬にかけて、フィンランド湾からの風によって押し寄せる洪水による被害がしょっちゅうらしい。

(1)ロシアは、パスポート携帯はもちろん、全員のビザ獲得は困難なため、ツアー行動しかできず、個人での行動が許されない。そのため、ツアーで、エルミタージュ美術館に。とんでもない規模で、270万点の美術品を蒐集してある。1点30秒ずつ見たとしても2年間かかるという。それをたった2時間で、超特急で超有名なものだけを観て回る。ダビンチ、ミケランジェロ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、レンブラント、モネ、マチス、ピカソ、エルグレコ、みんな本物。

(2)レストランでロシア料理は、ボルシチとビーフ・ストロガナノフ(要するに、ハヤシライス)。

(3)血の上の救世主教会(アレクサンドリア2世が暗殺された場所の上に立つ)と、サンクトペテルブルグ最大の教会、イサク聖堂を見学。これまでのカトリック教会と違い、東方あるいはアラビアの雰囲気が濃厚のロシア正教会。しかし、とにかく天に向かってそびえたつのは共通。違いは、オルガンとベンチが無いこと。ステンドグラスが美しい。

●白夜とまではいかないが、昼がとても長い。朝4時に日の出、夜11時に日の入りだ。日の入りの後も長い間明るい。とてもお天道様に付き合っておれない。

●フィンランドの首都、ヘルシンキ。「地球を歩く」を片手に街を歩き回った。森と湖の国らしく、緑が多い。風もなくさわやか。1日中、天気も良く、散策が楽しかった。しかし、いつもながら港に着いてみないと港のどこに着いたのか、街まで交通機関がどこにどうあるのか、分からないのが困る。トラム(市内電車)を探し、1日券(6.8€)であちこちブラブラする。「イッタラ」と言うムーミン陶器を作っている工場まで行き、そこのアウトレットで土産を買ったり、スーパーマーケットを探して、スヌーピー・グミと「世界で一番まずい飴」を買ったり、世界遺産のスオメンリンナ島へフェリーで行ったり。

●3回目のフォーマルディナー。妻は今夜はアオザイ。

2010年6月 8日 (火)

ヨーロッパ見聞録・その3

●47日目となる6月1日(火)。
デンマーク、コペンハーゲンに到着。日本では衣替えだろうが、こちらは寒い。
冬用のジャンバーを着込んデッキに向かうと、さすが環境立国。
海に立つ20本の風力発電の風車がお出迎え。エネルギーの90%を輸入石油に頼る国から、自然エネルギーを中心に一大転換、今や100%自給エネルギーで暮らす国。

●デンマークは、アンデルセンの国でもある。有名な人魚姫。ところが、今はビデオ画面が立つばかり。上海万博へ出張中で、上海での姿が映っているだけ……。Oh!
ところで、「世界3大がっかり」というのがある。
一つ目はシンガポール、マーライオン。これは見た。そうがっかりしなかったよ。
二つ目が、これ。
三つ目は、ブリュッセルの小便小僧だそうだ。いつか見に行かなくちゃ。

●デンマーク。環境社会の先進国。
(1) 朝6:30デンマーク、コペンハーゲンに到着。海中に立つ風力発電がお出迎え。エネルギーの99%を輸入石油に頼る国から、自然エネルギーを中心に一大転換、今や100%自給エネルギーで暮らす国。
(2) ハイウエーの周囲は、わざわざ雑木林や雑草を残してある。自然環境をなるべく破壊しないための措置だ。
(3) デポジット制が多くある。瓶ビール、清涼飲料水。無料貸自転車(110か所、2000台)も20クローネ(340円)のデポ。1Lのミネラルウオーターのデポが70円。定価の半分ぐらいか。
(4) エコ政策で、缶を導入させない国と理解していたが、EUとの確執で、最初は缶は反エコとの主張にEUも負けていたが、リサイクルできる缶の登場で遂に裁判で敗れ、今はだんだん増えているそうだ。でも、デポ制。道などに、缶や瓶、ペットボトルなどの氾濫はほとんど無い。瓶は、平均35回リユースされるそうだ。
(5) 車は、国産車無し。税金で、定価の約3倍の値段になる。かなり多く、車道と並行して自転車道が整備されている。1/3が自転車通勤だ。電車に自転車が積み込める。車は、事故減らしのため、常時点灯を義務付けられている。
(6) 平均200坪の敷地に40坪の家に暮らす国。6割が畑の農業国。人口の2倍の1200万頭の豚、200万頭の牛がいて、1500万人分の食糧を生産する。2/3は輸出だ。だが、輸出は工業製品が3/5を占める。薬や計器など、アイデア勝負の技術立国。
(7) 地方分権、自治の伝統が生きる国だが、270の自治体が98になるなど効率化とグローバリゼーションの波が押し寄せている。政治意識は高く、投票率は82%を下がったことはない。
(8) 物価も高いが、賃金も高い。中卒でも最低賃金1800円/h。所得税50%だが、医療・教育・年金、自己負担なしだ。消費税は、25%で、欧米一の高さ。
(9) 小中高までは、私立学校あり。それなりの父母負担。7割ほど公費補助。但し、収入が無ければ、私立でも公立と同じく自己負担なしで通うことができる。経済的理由で希望する教育を受けられないことは良くないという思想が生きている。大学はすべて公立。全く無料。生活費が無い学生には生活費まで支給される。上記と同じ理由。
(10) 学校には、運営に必要な費用が全て配分され、その配分は学校に任される。親の教育に関する権利と義務は、最大限尊重される。そのため、予算は、父母・教師・生徒の利益になるよう、校内で議論され決定される。教育課程も最低ミニマムさえ押さえれば自由に編成でき、そのために必要な教師を雇うことができる。

●ハムレットの舞台のモデルと言われるクロンボー城に行く。3・4kmの海峡を隔てて向かい側はスエーデンで、今も大砲がスェーデンを向いている。城自体は、古城というだけで、シェイクスピアやハムレットの痕跡も何も無い。話題となった舞台写真がちょこっと飾られてあるだけだった。

●イスラエルによるガザ支援船攻撃、更にピースボート船を訪問予定のノーベル平和賞活動家マイレッド・マグワイアさんが乗っていた船も拿捕された (その後、解放されたが)とのニュースが飛び込み、緊急講座が開かれたり、抗議行動を起こす旨が伝えられた。又、ニューヨークでのNTP再検討会議を受けて、各国代表団による洋上会議がこの船上で開かれるなど、世界の動きと日々繋がりながらの平和の旅を実感している。

2010年6月 2日 (水)

ヨーロッパ見聞録・2

ヨーロッパ見聞録・その2

●メールのやりとりができません!(今後もできそうもありません) ブログとmixiは見ることができます。連絡はそちら経由でください。

●我が劇団PeaceBoatの旗揚げ公演「群読・日本国憲法」を含む、船内生活の様子が、動画でWeb上にUPされたようです。 PeaceBoatのHPを探してみてください。

●スペインからフランスへと、ますます気分はヨーロッパ。

●スペインは、北スペイン、ア・コルーニャ。日本ではほとんど聞いたことが無い街だが、マルセーユに次ぐ第2の港町で、北欧の雰囲気が漂う。ビルの壁すべてが窓になっていて、ガラスの街と言われるそうだ。

●北スペインを通る、「巡礼の道」を歩く。たった5kmだが。森あり、川あり、田舎あり、放牧場あり、牛・馬・羊が草をはむのを見てのんびり歩く、非常に豊かなウオーキングだ。バックパッカーの多さに驚く。日本の熊野古道と姉妹関係で、世界遺産ではたった二つの道路遺産だそうだが、熊野のそれが巡礼より観光に堕しているのに対し、真の「巡礼」が今も生きている道だ。 1神教と多神教の違いか、信仰心の違いか。  驚きだったのは、コアラの好物のユーカリの木があちこちに繁っていること。しかも太いのだ。いつでもコアラを迎えられるとガイド。

●午後は、いよいよサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂。聖ヤコブの遺体を今も守る街。聖ヤコブとは、12使徒の一人でイエスの従兄である人物。今年は、聖ヤコブの誕生日7月25日が日曜日にあたるという聖ヤコブ年。それにしても、すさまじいまでの荘厳さだ。天に伸びる塔。内部の装飾・彫刻の素晴らしさ、パイプオルガンも柔らかく鳴り響き、正に天に導かれる。

Photo

●このガレシャ地方は、1年に235日雨が降るというスペインでも突出した雨の多いところ。そこで、雨にふられず、歩けたのはたいへんラッキー。スペインでもめずらしい緑が多い地方。同じスペインでも闘牛やフラメンコに無縁で、バイキングやケルトの文化の影響が強く、アイリッシュの影響もあるそうで、北欧的雰囲気はそこからくるのかもしれない。各家にはきれいな庭が作られているが、その9割は日本からの輸入花だそうだ。チーズと牛肉で有名で、茶色した「ゴールデン・カウ」が放牧されていた。各家には、煙突がかならずある。冬は寒いのだろう。ほぼ北海道の緯度だ。

●そして、北フランスは、ル・アーブル。建築家ペレによる「コンクリート」を使った再開発都市計画により世界遺産に登録されている。そしてここは、ノルマンディー地方。正にこれこそヨーロッパという風景がこれでもかと広がる。その素晴らしい景観を借景として、古い家付きで千坪単位の土地がついて、1千万ほどで手に入っちゃう。街の不動産屋で確かに売っていた。別荘に如何とガイドが勧める。 ギリシャ以降、いやエジプトから石の建造物に圧倒されてきた。その素晴らしさは疑いようもないが、ノルマンディーは、なぜかホッとする。洗練された放牧地と牛羊馬がそうさせるのか、実は家が違うのだ。家が、バイキング・ノルマン人の影響を受けていて、木と塗り壁で構成されている。木の家と豊かな緑(自然のそれではなく、しっかり人の手の加えられた緑)の調和が、心地よさを創り出している。カマンベールで、本場カマンベールチーズを堪能する。味が濃い濃い濃い。

●日本人が行ってみたい世界遺産第2位のモン・サン・ミッシェルに行く。サン・ミッシェル=聖ミッシェルとは、悪魔と戦う天使軍団の隊長(大天使)。その彼を祀る大聖堂。干満の差が激しく、満潮時には海の中に浮かび、干潮時にしか行けなかった要塞でもある。 今は、堤防道路が出き、いつでも行ける。しかしそのため、砂が溜まり自然が壊されているので、急遽フランス政府は、橋を作ることにしたらしい。そうしないと、これまでの景観が保たれないということだ。

では、又!

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »