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2010年4月25日 (日)

中国厦門~ベトナム・ダナン、そして劇団PeaceBoat

5日目。420()

とんでもない事態が待ちうけていた。

さあ、朝だ! 厦門港に到着。

と、思いきや、昨日以上のすごい霧のため厦門港は閉鎖中!

晴れるまで待機となり、入港予定時刻の7:00を過ぎても、そのまんま。

船尾では、PeaceBoatスタッフが、「晴乞い」の儀式と称して、妙なダンスを踊りはじめた。

船内には、いろいろな姿が見える。

ディバッグを背にばっちりいつでも行ける格好でイライラしている人、

スタッフにやたら話しかけ、情報を得ようとしている人、

のんびり部屋着で囲碁を打っている人、麻雀を始める人、

うまくいかないときに、人間がみえる……。

まあ、天気には勝てない、人間だって自然の存在だと半ばあきらめかけた頃、

14時に入港しますとのアナウンス。やったあ!

5時間遅れで着岸。

出港時刻があるので、オプションなどはどうなるんだろうと思っていたら、

すべて予定された内容は実施するという。そのため、出港時刻は、3時間遅れだ。

さすがに、貸切船。普通の旅ではこうはいかない。

さて、我がツアーは、家庭訪問。門番付きの4LDK高級マンションで、驚き。

日本でいえば、億ション。夫婦と一人娘の3人家族で、ハイソだった。

会社勤めを辞め、自営業を営んで成功したらしく、ブランド物に身を包んだ奥さんだ。

その手料理のおいしいこと!

もてなし料理が次から次へと出てくる。

メインは、生春巻。自分で好きなものをトッピングして、手巻きで食べる。

それ以外にも、焼豚、水餃子等々、ずらっと並ぶ。

海の面した都市だけに、なまこ、あおさ、えび、蛤のスープなど海産物がならぶ。

ナマスが出てきたのは、驚いた。

やがて、ご主人が帰宅。ビールまでごちそうになってしまった。

帰り際、娘さんも帰ってきたが、かわいい娘さんだった。

目に入れても痛くない愛娘とは、彼女のことをいうのだろう。

7日目。422()。曇り時々晴れ。昨日からムシムシと暑い。プールやジャグジーに入っている姿が見受けられるようになった。

さあ、いよいよ劇団PeaceBoatの時間。集まったのは、21名。予想よりやや少なめだが、男女熟年若年いいバランスだ。自己紹介の後、人差し指コミュ、フリー番号、谷川俊太郎「いるか」を読んだ。みんな、いい顔で聞いてくれるし、読んでくれる。「いるか」が、動物の「いるか」か「居るか」か、アクセントも含めて、解釈と表現が十人十色で、面白い。

8日目。423()。ベトナム中部・ダナン。雨季のため雨が心配されたが、晴れ!

青年交流オプションは、130人の日ベトの青年(ベトナムは正真正銘の青年だが、日本側は怪しい。)が交流を深めるPeaceBoatらしいプログラムだ。

これに参加の我々夫婦も、別々になり、それぞれベトナム青年のパートナーと手をつないで()バスに乗る。私のパートナーはTHAOタオさん。妻は、サン君。サン君はリーダーで、タオさんはサブリーダーのようだ。

バスでは隣同士で座り、さっそくコミュニケーションの始まり始まり。まず名前だが、母音が難しく、聞き取れない。何度言っても繰り返される。又、あちらは、詳細な会話集を持っていて、こちらの10例のみの簡単な会話集と段違い。しかも予想を超えて、英語ペラペラ。何言ってるか、ほとんど聞き取れない。「ダナン青年連盟」の選りすぐりなので、(選抜がある!)エリート中のエリートだろう。

悪戦苦闘してコミュしていると、「ホーチミンを讃える歌」を一生懸命教えてくれる。だが、アルファベット表記と音声が結びつかないので、全然覚えられない。30分ほどで連盟の本部に到着。

そのあと、タオの運転するバイクの後ろにまたがり(こりゃ又得難い体験)、向かったところは、ホーチミン博物館。ホーチミンの生涯が展示してある。ガイドの説明とは別に、タオが説明してくれるが、何度も聞き直して分かるのは半分以下。見ると、他のペアも一生懸命PeaceBoat側のゲストに気を使っている。サンは、細かく妻に気を配っている。それでいながら同時に、他の班員がちゃんとやっているかも見ている。たいしたものである。日本ではほとんどお目にかかれない男だ。タオちゃんも、私がちょっと離れると、すぐ探しにくる。

午後は交流行事。日本から出し物4つ。ベトナムから3つ。その盛り上がりぶりは、半端じゃない。むっちゃくちゃ乗っていく。私もナント!踊っちゃった。いえ、体を動かしていただけです。

意外だったのは、日本の出し物「ソーラン節」「お祭りサンバ」が、民族的香りを残しているのに対し、ベトナム側がヒップホップ2つとベトナム歌謡曲で、民族的な匂いがしなかったこと。又、日本は多くの人が出し物に参加しているのに対し、ベトナム側はひとケタの人数だったこと。

半年もかけて準備していると聞いていたのに、実態は個人的な出し物に終始したのが、疑問に感じた。ベトナムの若者も、日本と同様、アメリカ的影響を色濃く受けていると見受けられ、それも含めてベトナムの社会主義建設の実態が知りたいと思った。

もう一つ。岸壁まで一緒に来たタオちゃんが、別れが近づくにつれ(彼女はグループを明るくリードしていたのだが)みるみる元気をなくしたことだ。たった半日のおじ(い)さんとの交流なのに、こんなに心を動かすベトナムの若者に、大げさだが、人間の失った何物かを見た気がした。

 彼らは、我々が船に乗り込んだあと、1時間後の出港まで待っていて、最後の最後の挨拶をデッキと岸壁で交わすのだった。タオが、私を見つけて、大きく手を振る。私も振る。手がシンクロする。岸壁を離れた後も、一人ポツンと佇んでいたタオちゃんの姿が今も瞼に焼き付いている。

交流とは、なんなのだろうと思った。

 私は、ベトナムの若者との交流に何を望み、何を得、何を相手に与えようとしていたのか。私は、彼女の望みに応えられたのだろうか。今日ほど言語の障害を感じたことはない。兄弟は3人だとか、通り一遍のことしか分からなかった今回。少なくとも、ベトナム語はできなくても、英語ができれば、もっと彼女の置かれた状況を知ることができただろう。私の思いをもっと伝えられるだろうし、社会主義自由経済の発展の中で、現在の彼女は、どういう位置なのか、将来は約束されているのか等々、知ることができただろう。

そして、劇団「PeaceBoat」。

ダナン上陸を挟んで、最初の稽古と2回目の稽古を実施。

1回目は20数名。良い数だなと思っていたら、2回目の今日24()はナント38名、そのうちはじめてが21人。うれしいが、こりゃどうなるか、しばらく様子を見ないとよく分からない。20代の女性は、養成所育ちなど経験者が多いが、あとは初心者ばかり。腕が鳴るわい。

楽しみだ。なにより、日常生活から離れた解放感に裏打ちされている、その心が良い。自分の生活範囲ではできなかったことができる気になれる。台本は苦労しそうだが、はじけた芝居ができそうな予感がする。はまりそう……。

 そして3回目、25()は、講談編。そしたら43名も集まり、うれしい悲鳴。

まずは、報告第3弾でした。

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