フォト
2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »

2010年4月

2010年4月27日 (火)

『シンガポールの青い空』

11日目。426()。曇り。

シンガポール港に着く直前に、叩きつけるような猛烈なスコール。

雷も鳴り、霧も出て、派手なお出迎えであった。

GPSは、北緯1度を示している。ほぼ赤道直下で、今回の航海で最南端。

War memorial park

中央に4本の白い柱が空に向かってそびえたつ公園だ。

ようやく来ることができた。

1942年この地に上陸した日本軍が、大虐殺を繰り返した場所。

しばし、立ち止まってしまった私。

船に乗り込んでから知った事実。

PeaceBoatができたきっかけは、

数人の学生が、他の国と交流ができないかと始めた船の旅だった。

彼らがなぜそれを始めたか、1983年に起きた「教科書問題」だった!

時を同じくして、平演会もできたのだ!!

「花岡事件」(中国人集団虐殺)を描いた『勲章の川』上演で始まった「平演会」。

教科書に書かれた日本軍によるアジア「侵略」という記述が、

文部省(当時)の検定により、「進出」と書き換えられ、

アジア諸国から猛烈な批判と抗議が起きた。

その時に、PeaceBoatも始まり、平演会も始まっていた……。

その平演会で、私は処女作を書いた。

『シンガポールの青い空』。

ここは、その舞台となった場所なのだ。

ここに、PeaceBoatの旅で来る日が来ようとは思ってもみなかった。

今思うと、これは単なる偶然ではなく、必然だったのだ。

シンガポールの空は、青くなかった。

北緯1度、ほぼ赤道直下、ほとんど四季のない大都会はどんよりと曇っていた。

2010年4月25日 (日)

中国厦門~ベトナム・ダナン、そして劇団PeaceBoat

5日目。420()

とんでもない事態が待ちうけていた。

さあ、朝だ! 厦門港に到着。

と、思いきや、昨日以上のすごい霧のため厦門港は閉鎖中!

晴れるまで待機となり、入港予定時刻の7:00を過ぎても、そのまんま。

船尾では、PeaceBoatスタッフが、「晴乞い」の儀式と称して、妙なダンスを踊りはじめた。

船内には、いろいろな姿が見える。

ディバッグを背にばっちりいつでも行ける格好でイライラしている人、

スタッフにやたら話しかけ、情報を得ようとしている人、

のんびり部屋着で囲碁を打っている人、麻雀を始める人、

うまくいかないときに、人間がみえる……。

まあ、天気には勝てない、人間だって自然の存在だと半ばあきらめかけた頃、

14時に入港しますとのアナウンス。やったあ!

5時間遅れで着岸。

出港時刻があるので、オプションなどはどうなるんだろうと思っていたら、

すべて予定された内容は実施するという。そのため、出港時刻は、3時間遅れだ。

さすがに、貸切船。普通の旅ではこうはいかない。

さて、我がツアーは、家庭訪問。門番付きの4LDK高級マンションで、驚き。

日本でいえば、億ション。夫婦と一人娘の3人家族で、ハイソだった。

会社勤めを辞め、自営業を営んで成功したらしく、ブランド物に身を包んだ奥さんだ。

その手料理のおいしいこと!

もてなし料理が次から次へと出てくる。

メインは、生春巻。自分で好きなものをトッピングして、手巻きで食べる。

それ以外にも、焼豚、水餃子等々、ずらっと並ぶ。

海の面した都市だけに、なまこ、あおさ、えび、蛤のスープなど海産物がならぶ。

ナマスが出てきたのは、驚いた。

やがて、ご主人が帰宅。ビールまでごちそうになってしまった。

帰り際、娘さんも帰ってきたが、かわいい娘さんだった。

目に入れても痛くない愛娘とは、彼女のことをいうのだろう。

7日目。422()。曇り時々晴れ。昨日からムシムシと暑い。プールやジャグジーに入っている姿が見受けられるようになった。

さあ、いよいよ劇団PeaceBoatの時間。集まったのは、21名。予想よりやや少なめだが、男女熟年若年いいバランスだ。自己紹介の後、人差し指コミュ、フリー番号、谷川俊太郎「いるか」を読んだ。みんな、いい顔で聞いてくれるし、読んでくれる。「いるか」が、動物の「いるか」か「居るか」か、アクセントも含めて、解釈と表現が十人十色で、面白い。

8日目。423()。ベトナム中部・ダナン。雨季のため雨が心配されたが、晴れ!

青年交流オプションは、130人の日ベトの青年(ベトナムは正真正銘の青年だが、日本側は怪しい。)が交流を深めるPeaceBoatらしいプログラムだ。

これに参加の我々夫婦も、別々になり、それぞれベトナム青年のパートナーと手をつないで()バスに乗る。私のパートナーはTHAOタオさん。妻は、サン君。サン君はリーダーで、タオさんはサブリーダーのようだ。

バスでは隣同士で座り、さっそくコミュニケーションの始まり始まり。まず名前だが、母音が難しく、聞き取れない。何度言っても繰り返される。又、あちらは、詳細な会話集を持っていて、こちらの10例のみの簡単な会話集と段違い。しかも予想を超えて、英語ペラペラ。何言ってるか、ほとんど聞き取れない。「ダナン青年連盟」の選りすぐりなので、(選抜がある!)エリート中のエリートだろう。

悪戦苦闘してコミュしていると、「ホーチミンを讃える歌」を一生懸命教えてくれる。だが、アルファベット表記と音声が結びつかないので、全然覚えられない。30分ほどで連盟の本部に到着。

そのあと、タオの運転するバイクの後ろにまたがり(こりゃ又得難い体験)、向かったところは、ホーチミン博物館。ホーチミンの生涯が展示してある。ガイドの説明とは別に、タオが説明してくれるが、何度も聞き直して分かるのは半分以下。見ると、他のペアも一生懸命PeaceBoat側のゲストに気を使っている。サンは、細かく妻に気を配っている。それでいながら同時に、他の班員がちゃんとやっているかも見ている。たいしたものである。日本ではほとんどお目にかかれない男だ。タオちゃんも、私がちょっと離れると、すぐ探しにくる。

午後は交流行事。日本から出し物4つ。ベトナムから3つ。その盛り上がりぶりは、半端じゃない。むっちゃくちゃ乗っていく。私もナント!踊っちゃった。いえ、体を動かしていただけです。

意外だったのは、日本の出し物「ソーラン節」「お祭りサンバ」が、民族的香りを残しているのに対し、ベトナム側がヒップホップ2つとベトナム歌謡曲で、民族的な匂いがしなかったこと。又、日本は多くの人が出し物に参加しているのに対し、ベトナム側はひとケタの人数だったこと。

半年もかけて準備していると聞いていたのに、実態は個人的な出し物に終始したのが、疑問に感じた。ベトナムの若者も、日本と同様、アメリカ的影響を色濃く受けていると見受けられ、それも含めてベトナムの社会主義建設の実態が知りたいと思った。

もう一つ。岸壁まで一緒に来たタオちゃんが、別れが近づくにつれ(彼女はグループを明るくリードしていたのだが)みるみる元気をなくしたことだ。たった半日のおじ(い)さんとの交流なのに、こんなに心を動かすベトナムの若者に、大げさだが、人間の失った何物かを見た気がした。

 彼らは、我々が船に乗り込んだあと、1時間後の出港まで待っていて、最後の最後の挨拶をデッキと岸壁で交わすのだった。タオが、私を見つけて、大きく手を振る。私も振る。手がシンクロする。岸壁を離れた後も、一人ポツンと佇んでいたタオちゃんの姿が今も瞼に焼き付いている。

交流とは、なんなのだろうと思った。

 私は、ベトナムの若者との交流に何を望み、何を得、何を相手に与えようとしていたのか。私は、彼女の望みに応えられたのだろうか。今日ほど言語の障害を感じたことはない。兄弟は3人だとか、通り一遍のことしか分からなかった今回。少なくとも、ベトナム語はできなくても、英語ができれば、もっと彼女の置かれた状況を知ることができただろう。私の思いをもっと伝えられるだろうし、社会主義自由経済の発展の中で、現在の彼女は、どういう位置なのか、将来は約束されているのか等々、知ることができただろう。

そして、劇団「PeaceBoat」。

ダナン上陸を挟んで、最初の稽古と2回目の稽古を実施。

1回目は20数名。良い数だなと思っていたら、2回目の今日24()はナント38名、そのうちはじめてが21人。うれしいが、こりゃどうなるか、しばらく様子を見ないとよく分からない。20代の女性は、養成所育ちなど経験者が多いが、あとは初心者ばかり。腕が鳴るわい。

楽しみだ。なにより、日常生活から離れた解放感に裏打ちされている、その心が良い。自分の生活範囲ではできなかったことができる気になれる。台本は苦労しそうだが、はじけた芝居ができそうな予感がする。はまりそう……。

 そして3回目、25()は、講談編。そしたら43名も集まり、うれしい悲鳴。

まずは、報告第3弾でした。

2010年4月19日 (月)

2日目。4月17日(土)。

朝は元気に、太極拳。6時から30分。その後ラジオ体操。

揺れる船の上、時折よろけながらの運動は、船の旅にどうやら必須。

日課にしようと心密かに決める。

まだ外は肌寒いが、昨日の雲も取れ、晴れ渡る海が心地よい。

見渡す限りの海、海、海……、

と思ったら、あにはからんや北のほうに陸地が……。

何のことはない、まだ紀伊半島沖。潮岬。

201004170709242

朝食後、Mozartを聴きながら、ティータイム。

愛用のTimedomain Miniという優れもののSPを持ってきたのだ。

卵のかたちがかわいい。

一見すると、普通のSPを奇をてらって卵型にしただけのようだが、

音を発する原理が全く違うSPで、とても自然なリアルな音を発する。

興味ある人は、探してみてください。

今日は、オリエンテーションの日。

避難訓練に、船内生活案内、船内探検、

トーク「PeaceBoatの魅力」と、学校に入った新入生の気分だ。

まず午前中は避難訓練。

学校でのいい加減な形だけのものと違い、

救命胴衣ライフジャケットの着け方の実践、

その機能の説明、

(笛、タイタニックでもそれで助かった・水に浸かると点灯するライト・反射布)、

普段からの心構えまで、みっちり50分。

まさかないだろうと思いつつ、万が一が全くないとはいえないと、

実際、ちょっと荒れている海を見ながら、

真剣にライフジャケットの着け方を頭に叩き込んだ訓練だった。

船の生活を円滑していくためのチームがいくつかあって、

ま、暇だし、若者とも仲良くなれるか、ということで、

私はPAチームで、各種イベントの音響・照明の、

妻はブッカーチームで、PCの技術を生かして、船内新聞作りの、

お手伝いをそれぞれすることとなった。

毎日夜、夕食後にミーティングがあるのだな。これが。

なんだ、結局、名古屋での生活パターンと変わらなくなってきたぞ。

昼食後、船内生活オリエンテーション。

更にわかった、驚くべき、本構成メンバーの構成第2弾。

850人のうち、

6名の就学未満の子供たちを入れて、30代以下が300人。

40~50代の働き盛り世代が100人。

残り450人が、団塊世代。

更に更に、2回目以上というリピーターが、200人!

更に更に更に加えて、途中合流組が100人ほど。

予想以上に多い、若者たちとリピーター。

こいつぁ、春から面白くなりそうだぜぇ、と盛り上がった

オリエンテーションであった。

夕方から、船内探検。

もうあちこち歩き回って済んでいたが、運動を兼ねて参加。

単に場所を見るだけでなく、情報も知らされて、意味のある時間となった。

19:30より遅い夕食。本日は、純日本食。

同じテーブルに着いた人たちと話が弾み、アッと言う間に1時間。

20:30からの「クルーズディレクターによる魅力大航海」に慌ててかけつける。

結局、PAミーティングに出席できなかった……。

ピースボート全体企画や水先案内人講座、自主企画等、

ピーク時には、1日に50もの企画が並ぶと聞く。

「何もしないも船旅 何かするのも船旅」

朝から夜まで忙しい日々になるのかならないのか、

いや、するのかしないのか、

この自由が、なによりの、PeaceBoatである。

出発前、ブログ毎日更新するぞ、と公言したが、

1日目のブログは、奇跡的なUPだったらしく、

毎日は大変困難。

要所要所で、お便りすることにします。

帰ってからの土産話も取っておかないとね。

2010年4月17日 (土)

1日目。4月16日(金)。

12時に横浜港大さんばし埠頭に集合とのことで、その時間に行くと、

待つこともなく、書類を受取り、スーツケースの検査、

税関を通り、出国審査をあっという間に終わり、

12時半過ぎには、船に乗っちゃったのだ。

20100416_1207272

乗る前、昼食はついてるのかいないのか、

弁当を買っていったほうがいいんじゃないとか、

なに、出なかったら出発ターミナルにあるさ(実際はなかった…)とか

夫婦で論争したあげく結局持っていかなかったのだが、

昼食はレストランへどうぞ、だった……。

バイキングの昼食(これからずっと朝昼はバイキング…、ううう体重が……)

後、部屋に戻り、大荷物の整理。

ショックだったのは、段ボールが帰りに使い物にならないぐらい、

ボロボロで着いていたこと。

部屋そのものは、そんなに広くないが、

4人対応の部屋だったため、収納スペースが広く、

ほとんどの荷物は、そこに入っちゃったのが、幸いだった。

そんなことを大わらわでやっていると、早くも出航時刻が迫り、

「出航式」をやるので、集まれと言う。

みぞれが降りしきる冬景色の中、船は出ていく…。

絵になりそうだが、実際はめちゃくちゃ寒く、

ブルブル震えながら、シャンパンで乾杯しながら、

船から「行ってきま~す」

岸壁から「行ってらっしゃ~い」

を何度も繰り返しながら、オーシャン号は岸壁を離れた……。

ああ、ホントにこれから日本を離れて、101日世界一周に出かけるのだ、

と実感が熱くこみあげ、思わず涙が出そうになった……。

テープが名残惜しそうに、風に舞っていた……

という絵が全く無くて、

船からと岸壁から、双方からテープが投げられたのだが、

相手側に届かず、全て失敗。

黄緑色のウインドブレーカーを着こんだ回収隊が

(直前まで岸壁の車内に待機していた)

さっさと落ちたテープをゴミ袋に突っ込んでいた……。

両親に連れられた1歳児から、前回から引き続き参加の91歳まで。

17カ国850名の参加者。300名のクルーを含めると35カ国の

PeaceBoatならではのインターナショナルなメンバーだ。

一人旅の最年少は、なんと13歳の少年!

(親の顔が見たい! ← もちろん、いい意味で!)

船内では、日本語(当然)と並んで流暢な英語が飛び交う一方で、

片言の日本語と英語があちこちから聞こえる。

どこかで、最新鋭の船と聞いたのは夢だったのか。

あちこちに、ぐっと押しつけないと開かない扉、使われていない器具等、

1965年築造の45年も経つベテラン船だった……。

20100416_1211312 

(出番ないだろ と思いつつ 思わず見上げた)

夕方から、ウエルカムパーティ、その後ウエルカムディナー。

フォーマルでどうぞ、ということで、和服に着替えて出かける。

船長主催ウエルカムパーティは、プールデッキで、寒いこと寒いこと、

早々に退散する。

20100416_1831562

ディナーは、牛タン赤ワイン煮がメインディッシュの洋食フルコース

(ううう体重が……)。

さすがに、外海に出たら、船が揺れる。

立っていると、自分も揺れる。

船に酔ったのか、酒に酔ったのか、はたまた、あまりの解放感に酔ったか……。

ベッドに横になると、ますます揺れを感じる。立っていると感じない微妙な揺れも感じる。

これは、酒に乗じるしかなさそうだ……。

2010年4月15日 (木)

出航前日、歌舞伎を堪能。

本日4月15日、名古屋を出発。
4月一杯で改築になる、歌舞伎座へ
「御名残四月大歌舞伎」を観に行く。
M10400442
日本の伝統の匂いがプンプンする歌舞伎座で、
豪華絢爛、玉三郎に幸四郎、藤十郎の踊りと
オールスターキャストの芝居を堪能した。

うーむ、この芸の素晴らしさは、ただただ見とれるばかりだ。
昼は、ミニ天丼とそばを食らい、日本の伝統文化を摂取して、
明日からの世界一周に備えた私だった。

実は、ナント!その歌舞伎座で、
東海音声研究会のメンバーのKさんと出会ちゃったのだ。
お互い、アラララ、だった。

文化と伝統。
日本と、他の民族の違いと共通。
この旅、どんな出会いが待っているか、
ムフフ、ワクワクだ。

2010年4月14日 (水)

「ジュリエット」と「かもめ」

いよいよ明日出発。
なのに?、だから?
今日の今日まで、予定が詰まっている。

月曜日。
遊楽演稽古。
小川未玲『ジュリエットたち』を読む。
出航前に、キャスティングを発表しなきゃならないので、
とっかえひっかえ、交代で読んでもらう。
いつもながら、苦しくもあり楽しくもある瞬間だ。
役者一人ひとりそれぞれに、いいところがあり、
その人でしか出せない表現があったりする。
どれをどう生かすか、
一つを生かすと他が死ぬ。
そっちを生かすと、又別のものが生かせない。
すぐ決まる役もあれば、ぎりぎり最後まで悩むキャスティングもある。

火曜日。「戯曲を声に出して読む会@名古屋」4月例会で、
『かもめ』を読み始める。
自己紹介後、1時間ほどで1幕を読み終え、
2幕まで読めそうな勢いだったが、
それぞれに思いを語り始めて、アッという間に時間切れとなった。

改めて、チェーホフのすごさを感じた。

これまで、何度か読んだり、舞台を観たりしてきたが、
「フーン」で終わっていたのが、正直なところだったのが、
今回は、面白く感じたのだ。
声に出して読んだことが原因か、
自分が年取ったからか、理由はよく分からない。

でも、「コメディ」と名付けられた、
有名な謎は、簡単には解けない。
舞台化する作業をしないと分からないかもしれない。
それでも、解けないかもしれない。
取り組んでみたい衝動にかられた。
かられながら、恐いとも感じた。

今日は、平演会運営委員会。
公演体制などの確認をする。
台本がまだ揚がっていないのがやや心残り。

さて、持っていく物の最終チェックをいたしますか。

2010年4月10日 (土)

荷物、出発!

荷物のパッキングが、終了!

201004101101452_2

これが、101日間船上の旅の生活一切を担う。
思ったより、コンパクトにできて、満足満足。
しかし、きっと、
あ、これ入れ忘れた、
こいつ要るがね、とか出てくるにちがいない・・・。

とにかく、荷物は今日出て行く。
船出の日までに何か起きて、
荷物の主が出て行けなかったなんてことになったら、
笑い話だ。

用心して暮らそっと。

2010年4月 6日 (火)

第69回PeaceBoat あと10日!

10日後には、船上の人になっていると思うと、
ワクワクしてきた。思わず、頬がゆるむ。

5日後には事前に荷物を発送せねばならないので、
ぼちぼち荷造りをはじめた。
201004050849102_2
飛行機と違い、部屋に入る限り、どれだけでも荷物は持ち込める。
とはいえ、やはり荷物は少なくしたい。
しかし、船上生活で不便は感じたくない、普段に近い生活をしたい。
どれだけ持っていくのか、悩みながらのパッキング。
妻が、周りから「船は焼けるよー」と言われ、慌てて日焼け止めを入れている。

ま、こういうのも旅の愉しみの一つですね。

旅立ちの前日まで、忙しい。
関わっている「遊楽演」「平演会」「みどり文化芸術ネットワーク」
「戯曲を声に出して読む会@名古屋」
などの
打ち合わせやキャスティング、台本の直し、Workshopが
ギリギリまで目白押しだ。
その合間を縫って、昨日は足りないものをあれこれ買い物をしてきた。

よ~し、だいたい揃ってきたぞっ!

« 2010年3月 | トップページ | 2010年5月 »